ソープランド街としては日本一と言われる吉原
国内で随一のソープランド街と言われる吉原は、東京・浅草の鷲神社の裏手にある台東病院と吉原神社を、さらに奥へ進んだところにあります。
江戸時代、この地には一大歓楽街、吉原遊郭があったため、当時から現在に至るまで、酉の市がにぎわいを見せています。
その当時、酉の市が開催されている日に限って、吉原遊郭で働く遊女たちは、廓から外へ出て参拝することができました。
酉の市からソープランド街へと足をのばす
観光旅行などで現地を訪れ、酉の市の様子を見学したら、せっかくなのでソープランド街を散策してみると良いでしょう。
この街では、9時からスタートする店が多く、道を歩いていると、店員から声をかけられます。
ただし、条例により、店の敷地から外へ出て客引きをする行為は禁止されています。
そうした事情から、店員は、敷地内から声をかけるだけなので、行く手を阻まれたり、勧誘を断るのに時間やエネルギーを費やしたりするといった心配は要りません。
吉原という街の特徴について
そのように、吉原は、条例を遵守しているものの、裏を返せば、行政の統治下に置かれている街ということにもなります。
また、吉原の街は、JRの駅から遠く離れているほか、かつては強引な客引きが行なわれており、遊郭を利用するため以外の目的では、現地をおちおち歩くことができない状況にありました。
そういう事情により、吉原では、送迎車のサービスが一般的に提供されています。
街の現状に関する情報
吉原遊郭にある店舗は、正面から見ると、派手な印象を受けますが、裏に回れば、建物の老朽化が進んでいる状況にあります。
これは、現行の新風俗営業法に、店舗の建て替えを禁止するという規定があるためです。
また、不況が長期化している昨今では、街の様子を見ると、厳しい経営状況を強いられていることがうかがわれます。
現地に於いては、駐車場に転用されている場所も少なからず見受けられ、ファミリーを対象とした大型マンションの建っている一角もあり、主婦が子どもを自転車に乗せて走っている光景も日常的に目にします。
これから訪れると思われる状況
そのような状況の中で、吉原の風俗街としての機能は、いずれ消滅するであろうと考えられています。
かつて、吉原遊郭には四方を取り囲む堀があり、現在でもその地形は残っています。
このままゆけば、それぐらいしか風俗街の痕跡が無くなる時が来るかも知れません。